馬車を降りないほうがいい。私の言葉が余程驚いたのだろうか? リーシャが目を見開いた。「何を仰っているのですか? それって……馬車から降りたら危険と言っているようなものじゃないですか! クラウディア様がお1人で馬車から降りるなんて駄目ですよ! だったら降りる時は私も一緒です!」リーシャは私の右手を両手で握りしめてきた。リーシャはとても責任感が強い娘だった。自分の身の危険も顧みず、私を助けようとする。そして私はそんな彼女に甘えきっていた。けれど、今の私はもう違う。自分の娘と年齢も然程変わらないリーシャを危険な目に遭わせたくない。「聞いて、リーシャ。私は戦争犯罪を犯した王族の1人なの。だから責任を負わなければならないのよ」リーシャの髪を撫でながら言い聞かせる。「で、ですが……クラウディア様、私は専属メイドなのです。クラウディア様をお守りするのが私の役目です」声を震わせてるリーシャ。「いいえ、それは違うわ。専属メイドを守るのが……主人としての私の務めなのよ」「クラウディア様……」その時、馬車がガタンと音を立てて停まった。「……停まったわ」私はじっとリーシャの顔を見た。「ク、クラウディア様……」リーシャが私の袖を掴んで離さない。「いい? リーシャ。ことが収まるまでは……絶対に馬車から降りないで。お願いよ」「で、ですが……!」その時。「クラウディア様。今夜はこの町で宿泊致しましょう」不意に馬車の外から声をかけられて、扉が開かれた。扉を開いたのは……。「分かったわ、ユダ」目の前に立っていた人物はユダだった。「……1人で降りられますか?」ユダが私に尋ねてきた。「え? ええ。勿論よ。いい?リーシャ。まだ馬車から降りては駄目よ?」「は、はい……」私の決意を知ったのか、リーシャは頷いた。「では降りて下さい。ここは『クリーク』と言う町です。クラウディア様ならここがどのような場所なのかお分かりになりますよね?」ユダは私に問いかけてきた。「ええ知ってるわ。この町は『レノスト』国の領地でしょう?」「その通りです。町民達には事前に今日はこの町に宿泊させてもらうことは伝えてありますので」ユダは無表情で状況を説明した。「そう、分かったわ。なら……私からも挨拶しないとね」笑顔でユダを見ると、私は手摺を握りしめてゆっくり馬車から
小1時間程休憩を取ると、再び馬車は『エデル』へ向けて走り出した。スヴェンのお陰で喉の乾きもお腹も満たされた私達は馬車の窓から外を眺めていた。馬車は森を抜け、再び荒れ地を走り続けている。日は少しずつ傾きかけ、いつしか空は青とオレンジのコントラストの色に染められていた。「きれいな夕焼けですね……」リーシャは水平線が広がる大地の空に映える見事な夕焼けに、すっかり目を奪われていた。「ええ、そうね」私は返事をしたが、これから訪れることになる町のことを考えると心が休まらなかった。「今夜は何処に泊まるのでしょうね」リーシャがポツリと呟いたので、これをきっかけに次の町のことについて説明することにした。「多分、次の滞在先は『クリーク』という町になるはずよ」「まぁ、町ですか? でしたら大きな町なのでしょうね。それならきっと宿屋もありますよね? 入浴も出来るでしょうか? 私、身体の汚れを落としたくて」リーシャには悪いが、恐らくそれは無理だろう。でも期待している所にわざわざ水を差すこともないだろう。「そうね、入浴……出来るといいわね」「やっぱりそうですよね?『アムル』の村ではお湯で濡らしたタオルで身体を拭くことしか出来ませんでしたから。あ〜今から楽しみです……」リーシャは余程お湯が恋しいのだろう。「フフフ……リーシャったら」無邪気なリーシャを見ていると、ふと娘の葵のことが思い出された。……私が死んだ後、家族は皆どうしたのだろう。「何故クラウディア様は次に立ち寄る場所をご存知なのですか?」センチメンタルな気分になりかけた時、リーシャが話題を変えてきた。「ええ、それはね……『クリーク』と言う町も『レノスト』国の領地だったからよ」まさか、回帰前に立ち寄った場所だからとは言えるはずもなかった。「そうだったのですね。私って、まだまだ勉強不足ですね」「いいのよ、もう。これからは『エデル』国について学べば良いのだから」「ええ、そうですね」リーシャは元気よく頷いた。「それでね、リーシャ。次の『クリーク』と言う町なのだけど……実は大きな野戦病院があるの。その町ではいまも戦争で怪我や病気になった人達が……数多くいるのよ……」「え……? そ、そうなのですか?」リーシャの顔が曇る。「ええ。だからきっと、その町でも戦争を起こした王族として私は責められるは
「え?」「どうしたんでしょうね?」何故停車したのか分からず戸惑っていると馬の足音がこちらへ近付き、馬車の窓から突然スヴェンが覗き込んできた。「姫さん、リーシャ」「え? スヴェン? どうしたの?」「どうしたも何もここで少し休憩を取ることにしたんだよ。ずっと馬車に乗って疲れただろう?」スヴェンはまたがっていた馬から降りると、馬車の扉を開けた。「さぁ、姫さん。降りてこいよ。リーシャも」スヴェンが手を差し伸べてきた。「あ、ありがとう」戸惑いながら、スヴェンの手を借りて馬車を降りると『エデル』の兵士達も既に休憩の準備に入っていた。馬車が停まった場所は小川が流れていた。「まぁ……とてもきれいな場所ね」「ええ、本当ですね」私とリーシャは目の前の美しい光景に目を奪われていると、スヴェンが声をかけてきた。「姫さん、リーシャ。喉乾いただろ? ほら」そして私達の前に水が入った木のコップを渡してきた「まぁ、ありがとう」「ありがとうございます!」私達は早速コップの水を飲んだ。冷たい水が乾いた喉を潤してくれる。「……美味しいわ……」「ええ、美味しいですね。クラウディア様!」」リーシャは余程喉が乾いていたのか、ごくごくと一気に水を飲み干してしまった。「アハハハ……そんなに慌てなくても大丈夫だ。水はそこの小川から汲んだんだから」スヴェンは笑いながら教えてくれた。「そうなのね? とても美味しい水ね」「はい!」「お腹も空いたんじゃないか? 森の中を馬で通り抜けながら果実をもいでおいたからこれも食べるといい」スヴェンは腰に下げていた麻袋を外すと、紐を解いて中身を見せてくれた。見ると中にはリンゴやオレンジといった果実がぎっしり入っていた。「わぁ〜美味しそうです」お腹が空いているリーシャはとても嬉しそうだった。「スヴェン……いいの? こんなに沢山貰っても」「その……姫さん達が運んできた食料、全て俺たちの村に寄付してくれたんだろう? これは……その、俺からのお返しの気持ちだよ。こんなことくらいしかしてあげられないけどさ」スヴェンは何だか申し訳なさげにしている。「何を言ってるの? こんなに色々良くしてもらえてとっても嬉しいわ。ありがとう。スヴェン」笑顔でスヴェンにお礼を述べると、何故か彼は顔を真っ赤に染めた。「い、いや。そう言って貰える
ガラガラガラガラ…… 青空の下、馬車は何処までも続く平原の1本道を進んでいく。周りの景色は戦争の爪痕があちこちに残されており、焼けた木々や所々に穴が空いている地面が見えた。 懐中時計を確認すると、既に『アムル』の村を出発して4時間程が経過していた。「こうして外の風景を見ていると戦争が激しかったことが伺えますね……」リーシャがポツリと呟いた。「ええ、そうね」彼女の言葉に頷きながら、私は回帰前の出来事を思い出していた。恐らく彼等が次の休息場所として立ち寄るのは、『クリーク』の町。『アムル』の村と同様、かつての『レノスト』王国の領地だった町だ。そしてここは大きな野戦病院がある町で、多くの傷病者達が今も満足のいく治療を受けられずに苦しんでいる。そして、当然の如く『エデン』の使者たちはここに立ち寄り、『アムル』の村同様、私は彼等に酷く責め立てられたのだ――「どうかしましたか? クラウディア様。何だか思い詰めた顔をしていますが……大丈夫ですか? ひょっとして馬車酔でもされましたか?」リーシャの言葉に、私は現実世界に引き戻された。「いいえ、何でも無いわ。大丈夫よ?」笑みを浮かべて返事をする。気づけば、馬車はいつの間にか森の中を走っていた。「でも、いつになったら休憩してくれるんでしょう。もうお昼時間だってとっくに過ぎているっていうのに」リーシャは少し離れた場所を馬にまたがって談笑している兵士達を見て不満げにしている。あの時は、『クリーク』の町に到着するまで、馬車は休憩してくれなかった。前回と同じであれば、恐らく夕方までこの馬車は停まってくれることは無いだろう。「あ、あの木になっているリンゴ、美味しそう……。もう私、お腹だって空いちゃいましたよ……」リーシャは森の木々になるリンゴを恨めしそうな目で見つめ、ため息をついた。「仕方ないわ。先を急いでるのよ。お腹が空いているのは皆同じよ」私はリーシャを宥めるように語りかけた。……けれど、私は知っている。彼等は皆非常食を携帯しており、私達に内緒で食べているということに。「そうですね。お腹が空いたし、疲れたので休憩して下さいと彼等にお願いしても、馬車に乗っているだけなので疲れるはずないだろう? なんて言われてしまいそうですね。結局我慢するしかないってことですよね」リーシャは『エデル』の使
翌朝―― 教会で村人達から朝食として麦粥を頂くと、私達は『エデル』へ向けて出発することになった。****「はぁ!? 何だって! お前まで俺たちと一緒について来るって言うのか!?」お馴染み目つきの悪い兵士が旅立ちの支度をして現れたスヴェンを見て、露骨に嫌そうな表情を向けてきた。既に馬にまたがった他の『エデル』の兵士達も一様に同じ視線を向けてくる。「ああ、そうだ。俺は一度『エデル』の国へ行ってみたいと思っていたんだ。何しろ今度の領主様は『エデル』の国王様になるんだろう?」スヴェンは腕組みしながら兵士を見た。「フン! 田舎者風情の平民が。貴様のような者が国王に会えると思っているのか?」兵士は明らかにスヴェンを馬鹿にした態度を取る。勿論周辺にいた兵士達も同様だった。「な、なんて失礼な人達なのかしら……」リーシャは小声で文句を言い、怒りで体を震わせている。確かにリーシャの言い分も尤もだ。彼はあまりにもスヴェンを……と言うか、私を含めて『アムル』の村人たちを馬鹿にしている。そこで私は激しく睨み合う2人の前に出てきた。「ねぇ、兵士さん。話を聞いてくれる?」すると兵士はジロリと私を見た。「クラウディア様。俺のことを『兵士さん』と呼ぶのはやめてもらえませんか? 俺には『ユダ』という名前があるのですから」ユダ……。なんて覚えやすい名前なのだろう。確か聖書でユダと言う人物はイエス・キリストの弟子でありながら、裏切って十字架に磔の刑にさせた人物。その者と同じ名前だなんて……。「何ですか? 人の顔をじっと見て」ユダは不満そうに口を尖らせた。「いいえ、良い名前だと思っただけよ。それでユダ。スヴェンはただ私達の旅についてくるだけなのよ?馬だって食料だって自分で用意すると言っているのだから。ほら、『旅は道連れ』って言うでしょう? 人が大勢いたほうが賑やかでいいんじゃないかしら? 第一……」私はスヴェンをチラリと見た。「彼は、列の一番最後尾をついて歩くのだから。そうよね? スヴェン」「あ、ああ。そうだ、姫さんの言う通りだ」「……」少しの間、ユダは考え込むようにスヴェンを見ていたけれども背後にいる他の仲間たちを振り返った。「お前たちはどう思う?」すると、昨晩見逃してあげた兵士が遠慮が言った。「……最後尾をただついて歩く位なら……別にいい
「え……? 姫さん。一体どういうことなんだ?」スヴェンは困惑の表情を浮かべて私を見た。「クラウディア様? 何を仰っているのですか!? 彼等はクラウディア様の馬車を焼こうとしたんですよ!?」リーシャは縛られている兵士たちを指さした。「「……」」一方、縛られた2人は無言のまま目を伏せている。……彼等は言い訳をすることもなく、知らんふりをしている。本来ならここで私も彼等を叱責するべきなのだろうが、旅はこの先も続く。私は出来るだけ穏便に『エデル』の国へ辿り着きたい。この先も私に対する罠が張り巡らされているのは既に分かっている。これ以上厄介ごとを抱えたくはなかったのだ。そこで私は笑みを浮かべると兵士たちに声をかけた。「ごめんなさい、私がおかしなことを頼んでしまったから誤解させてしまったのね?」「え……?」1人が驚きの目を私に向けて何かを言いかけたが、隣で縛られている兵士に肘で小突かれて口を閉ざした。「姫さん、どういうことなのか俺に説明してくれないか?」スヴェンは何処か不機嫌そうな態度で私に尋ねてきた。スヴェン……。彼は目で私に訴えていた。『何故、この2人を庇うのだ?』恐らく彼には分かっていたのだろう。エデルの兵士たちの行動が誤解でも何でも無く、明らかに私を困らせるために荷物を焼き払おうとしていたことに。ごめんなさい、スヴェン。だけど私には私なりの考えがあり、今は黙って私の行動を見守っていて欲しい。私はにっこり笑みを浮かべると全員を見渡した。「実は、この人達に本を持ってきて貰うように頼んでいたの」「「本?」」スヴェンとリーシャが声を揃える。「ええ、いつも寝る前に読んでいた本があって、その本を荷馬車の中に積んであるとばかり思って、探して持ってきて貰うように事前に頼んでおいたの。だけど私の勘違いだったみたいね。今見せてあげるわ」テーブルの下に置かれたボストンバッグまで私は本を取りに向った。「ほら、この本よ」バッグから本を取り出すと皆の前で見せた。「あ……確かに、この本はクラウディア様のお好きな小説ですね」表紙を確認したリーシャが納得したように頷く。「ええ、そうなの。てっきり荷台の中にいれていたと思っていたの。この人達は本を探す為に松明を持って近付いただけだったのじゃないかしら? ね、そうよね?」私はプライドの高い兵士